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リメオナ20周年に際し寄稿する「たまには音楽の話をしよう」

リメオナ20周年に際し寄稿する「たまには音楽の話をしよう」

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20周年か。よくぞ続いたもんだ。誇りに思うよ、リメオナ。紛れもなく、俺の主宰するバンド。最近はメンバー間ではもっぱら酒の話。悲しいかなめっきり女の話が少なくなった。次いで家族の話、仕事の話、政治の話…たまには俺から音楽の話をしようか。
20周年を記念して、また、メンバー同士の思い出作りも兼ねた、関西地区でのライヴツアー。ライヴハウスの選定や折衝はもとより、宿の手配をはじめ何より「伊集院の説得」に奔走してくれたのは他ならないアラジン、長太郎の二人であった。俺はというと、「面倒」「どこでやっても一緒」「東京のほうがレベル高いし…(実際、これは実感した)」言い訳を連ね、当然のこと乗り気ではなかった。


ライヴは、楽しさ50%、嫌だ・苦しい・面倒50%というのが正直なところ。自分からは進んではやらないなぁ、この先も。いつもお膳立て(バンドの営業、スケジュール調整等)には感謝している。俺はダメだ、そういうの。もう嫌だ。数年前に、バンドの庶務の一切を拒否し、アラジン、長太郎に託した経緯がある。「伊集院に専念したい」なんて恰好のいい理由をかざして…。二人には感謝だな。俺はバンドに関しては「ガラスの心」だから、ライヴハウスの人やお客様のご意見ご要望が耳に入ってしまうと、何だか一気に冷めてしまったり、激しく落ち込んだり、やけを起こして真逆のことに走ろうとしたりするところがあるね(ここでアラジン&長太郎は大きく頷いていることだろうな、チッ)「バンドの顔」っていうのはやっぱりボーカルだから、ライヴ前後の営業活動はどうしてもボーカルってところがあるでしょ?褒めたたえられるも、けなされるも、質疑応答も、「CDくださ~い」も、「ありがとうございました」のお辞儀をするのも全てボーカルの仕事なんだよ…それはよくわかっているんだけれどね、ゴメン、俺はダメだぁ。いっちょまえに一流気取りだな、
勘弁ね。


もう何かにかこつけてライヴをやりたくない!って俺が言うもんだから、最近はアラジン&長太郎はライヴをやるために「ライヴ後は居酒屋ハシゴ」「終わったらサウナ」「終わったらカプセル」「終わったらマッサージ」等の飴を用意して俺を釣ろうとする。そして俺はいとも簡単に釣られてしまう。ライヴはやったらやったで楽しいよ。かつてはしょっぱいライヴを幾多と経験し、もう限界、もう辞めよう、と何度思ったことか。しかし近年はしょっぱいライヴというのは記憶にないなぁ…平均アベレージは年々上がっていて、大きくコケた!というのは無いなぁ、これも経験値というやつかな。バンドは「若さ」や「美貌」は関係ないね、って若さや美貌を持ち合わせている奴が言えば説得力があるけれど、ま、関係ないね。バンドには「戦歴」が大事だな、と最近つくづく思うよ。「戦歴」がものを言う。
ついでに言っておくけれどバンドに必要なのはね、メンバー全員が同じベクトルの向きか?ってこと。これ一番大事だし、これが全て。目指す到達点だけでなく、通過点も一緒じゃなきゃダメ。むしろ通過するプロセスが重要視されるよ。更に言えば、歩く歩調も統一されてなければダメ。リメオナは、練習で音を合わせる時間より居酒屋で話をする時間のほうが長いんじゃないの?なんてよく言われるが、ここがポイントよ。音を合わせるよりも、ハートを合わせるのだ。歩調を合わせるのだ。ベクトルの向きを合わせるのだ。俺たちは大事にしているよ、そこんところ。まず根っこが一緒(同級生)というところが強いね、俺たち。カミさんよりも長く付き合っているわけでしょ、しかも多感な思春期→青年期を一緒に駆け抜け、お互いの悩みを知り、共有した。だからお互いのことは大概、許せる。メンバーを許すってことはとても大事よ、バンドには。他人を許す…これは紛れもなく、道徳だ。そして礼節を重んじること。リメオナ訓(俺たちの不文律だな、いわゆる)には必ず出てくるよ、近年は。「礼節を重んじるバンドを目指そう」と。
バンドに関しては、例えば地方から上京して東京で…なんてやつらには全ての面に置いて絶対に負けることは無いんだよ、俺たちは。絶対に、だ。全ての面に置いて、絶対だ。もし20年続けたバンドのボーカルが偉そうに物申せるのであれば、これだけは言っておきたい。「音合わせる前にハートを合わせろよ」と。


話を戻すとライヴ後の達成感とそのご褒美のためにライヴやってる。あとはねぇな。お客様の笑顔のためとか、悪い、それはない。(ここはカットしてもいいよ、長太郎)バンド活動の全てをネット上のみで行うことも本気で考えたこともあったくらいだから…(笑)
大阪のライヴ。俺は喉の調整に失敗し、不安を残したままリハを終えた。喉の調整はここ10年以上、最重要の課題だ。実は前日のゲネプロから調子が悪く、行きの車中も二人が気を利かせてくれて、話しかけて来なかった。(話しかけられるとついついしゃべってしまい、喉が疲れてしまう。こんな失敗が過去に何度あったことか)俺だけ新幹線で行く(喉を使わずに済むという理由)ことも当初考えていたくらい。


リハの後、本番前までの時間はアラジンは大阪のライヴハウス関係者や出演者とつながりを持つための、いわば「営業活動」に奔走するという。長太郎も然り。対バンのお兄ちゃんと話しこんでいる。御苦労さま、そしてゴメンね、頼んだ!
アラジン「伊集院、本番までホテルに帰って寝てなさい」これには助かったよ。また長太郎にいたってはライヴハウス徒歩20秒のところにホテルを用意してくれていたのだ。いやぁ、ホント、助かった。おかげで喉を休めることが出来たし、本番も何の不安もなく歌い、伝えることが出来たよ。大阪に足跡だけでも残せることが出来たのではないか…そんな満足感で一杯だった。
自画自賛のアラジンブログにも記されているとおり、ライヴ後は達成感で心を満たしつつ、3人で飛田新地を大手振るいながら闊歩(ここもカットしていいよ、長太郎)、新世界で串カツを喰らい、3人で道頓堀→心斎橋をハシゴしたね。日本一ダサい歌手長渕の「浦安の黒ちゃん」の歌詞さながらにね。ホテル前で解散した後は、自分をクールダウンするために、ひとり赤ちょうちんへ行きました。閑古鳥鳴かすライヴシンガーではあるけれど、ライヴ後の興奮冷めやらない状態でのひとり帰宅は、正直つらい。これも何十年味わっている辛さだよ。赤ちょうちんでおでんにコップ酒で自分ともう一度向き合い直し、再リセットをかけるのだ。(これはパチンコを打つ行為でも得られる)おまけに深夜のとんこつラーメンにて締めて、ホテル帰着、就寝。


ホテルはなんと15時チェックアウトのおまけつきだ。これも長太郎の心づかいであった。ちなみにアラジン&長太郎は朝10時には京都に向け出発。観光をするという名目で、俺を気遣ってひとりにさせてくれたのだ、ありがたい。京都のライヴハウスの入り時間まで喉を休ませることが出来そうだ。しっかり11時まで寝て、15時の京都のホテルでの待ち合わせには少々余裕があるが、せっかくのひとりの京都、満喫しよう。


俺のひそやかな趣味は「国産ワイン(とりわけ甲州)」と「建築」だ。国産ワイン(とりわけ甲州)への思いも機会があったら触れてみたいが、またの機会でね。
古い建造物を見て回るのが好き!と、数年前に目覚めてしまった。大正ロマン建築や、看板建築、カフェー建築などを見て悠久の歴史に思いを馳せたい、と常日頃から思っている。五条楽園というお茶屋街(旧赤線)の古い街並みを散策し、山口組の総本山を満喫した。あぁ、いいリフレッシュが出来たよ。ありがとう。
さて、ライヴ前には必ず、弦を張り替える、という面倒な作業が待っている。あぁ、面倒だ。今回の関西ツアーの寝城を、大好きなカプセルホテルとしなかった理由が、ここにある。


弦を張り替えなければならない
弦は生き物だ。リハーサルの数十分で劣化する。だから前日張り替えもダメ。かといって本番前もダメ。弦は温度やプレイで伸びてしまい、しっかりリハで馴染ませなければならない。良い演奏は1にチューニング2にチューニング、3、4、が無くて5にチューニング。これをきっちりやろう。しかしベースやドラムは楽でいいなぁ…(とはいえ彼らもベースやドラムの皮?何ていうの?皮?のコンディション作りはよくやっているよ、偉い!)
というような訳で、入り時間前に張り替えるのがベストで、ホテルの部屋で張り替えられるよう、ビジネスホテルを所望したのであった。
京都でのアコースティックライヴ。結果から言うと「年間ベストバウト」どころか「生涯ベストバウト」ではなかったか?
本番前、ステージにて長太郎を見ると、俺のほうを見ながらにこやかに微笑んでいた。そしてアラジン。俺が振り返り奴を見ると、奴も俺のほうを見ながらにこやかに笑っていた…
何なんだ?
何なんだ?あの二人…


あいつら一皮どころか二皮くらい剥けたな。俺の知らないうちに。何なんだ、あの落ち着きようは。自分のプレーよりも俺を心配しているんだよな。あの余裕はどこから?
実は普段のライヴだけでなく、二人は俺の喉の調子やテンション、練習スケジュールまでに気を使っていてくれて、その全てを伊集院中心で進めてくれているのだ。曲順なんかも伊集院イニシアチブ(喉の具合、歌うテンション重視)
しかしツアー先の、初めてのライヴハウスである。自分たちだって緊張して精一杯だろうに…二人の笑顔は紛れもない、俺を心配する素振りであった。常々、お初のライヴハウスや対バンにいいのが出ている時なんかは、俺は頑張りすぎて空回りをする時が多々あった。それに気をつけなさい、と二人から再三にわたり注意を受けていた。今回のツアーに際しても、何度注意されたことか…この期に及んで(開演前のステージ上でまで)俺を心配してくれているとは…ありがとう!俺はそのサインをしかと受け止めたよ!
冷静に、落ち着いて。


おかげで「年間ベストバウト」どころか「生涯ベストバウト」のライヴだった。
20年目にしてベストライヴとは、実に気分いいものだね。若い時のライヴなんて比ではないと思うし、曲に関しても良いものが出来ていると、自分では思っている。
今ツアーでは、エレキライヴで「西7号棟」「どん底喫茶」「楽しい貧民街」の、いわゆる「貧民三部作」を歌った。
アコースティックでは「ナガイ先輩」を。
このリメオナの中では比較的新しい4曲について、少し話そう。

「ナガイ先輩」
…貧民街出身の俺たちの先輩だから、貧民三部作→四部作といっても過言ではない。また、登場人物、エピソード等はフィクションとしておいて欲しい。ナガイ先輩は日野高校ギター部、ドラマー、アラジンの師匠でもあった。また、当時、俺との親交が深く、バイト先も一緒で大変世話になったお方だ。曲中でも歌われている通り、心やさしく怒らない、人と接するときは必ず自分を下げ、決して先輩ぶったりしない温厚な方であった。


重ね重ね言っておくが、フィクションだ。
過去を振り返るには年齢的に少し若い気もするが、「あの頃」を歌にせよ、とのバンドプロデューサーアラジンの命によって制作した。
少し話を脱線させるが、ここ数年のバンドのプロデュースは、アラジンだ。
結成当初、バンドのコンセプトや進むべき方向を謳ったのは、俺だ。二人にプレゼンし、理解を求め、スタートし、数年かけて形となった。
リメオナには制約が多い。面倒なバンドだ。とにかくあれもダメ、これもダメ、リメオナ訓(不文律)は今現在も強く遵守されている。
簡単に説明すると、俺らの場合、「器用貧乏にはなるな」ということだ。バンドっていうのは本来自由で、趣味的要素や、自己表現要素が強いものであるから、自分たちのやりたいことをやればいいのだ、本来ならばね。だけど自由で何をやっても良いのであれば、極論だけど、客寄せのために金品を配ったりとか、話題性のために裸になってみたりとか…それはやっちゃいけないことであることくらい、誰にでも理解できるね。本来なら、自由だから何をやってもいいんだよ、だけど俺たちの中には様々な細分化されたルールがある。それにのっとった自由。幾つか挙げてみようか。例えば俺らの場合は、原則恋愛ソング禁止。歌(歌詞、メッセージ、コンセプト)で勝負をしよう!というルールがある。誰の真似でもない、誰にも真似できないものを作ろう、というルールがある。他人を傷つけてはならない、というルールがある。他人の力は借りない、というルールがある。後ろ(過去)を振り返ってはならない、というルールがある。世知辛い浮世を笑い飛ばそう、というルール等々。


その他、サウンド面においても、メジャーセブンは使わない(最近少し崩れつつある→例 ブスしか愛せない等)、鍵盤に頼らないなど。影響を受けた俺らのルーツを後世(若い世代)に継承等々。
近年、これらのルールの番人であり、リメオナであるための品質管理やブランド管理、歌詞チェック、サウンドプロデュース、曲構成、アレンジ、ステージで着るものまでを決定するのは、何を隠そう、実は、アラジンなのだ。しかもうるさい。
ちなみに作詞&作曲は俺がやらせてもらっている(やらせてもらっている、という表現を使わないと、怒られる)そしてほとんどの曲のコーラスアレンジも俺が担当し、そこだけは譲れない。
曲作りは簡単な歌詞のアウトライン(歌いたい内容)を二人にプレゼンしたら、俺の役目はほぼ終わり。作詞作曲なんておこがましね。曲から歌詞の詳細から完成までの工程は、ほぼあの二人に任せてしまう。もちろん生みの親である俺もたくさん口出しはするが…。


長太郎は、なんといってもドマスターであり、エンジニアだ。全体を見渡した出来栄えチェック、旬の曲選定、セットリスト承認にはうるさい。また、HP作成やスケジュール管理も奴の担当。プレイヤーよろしくエンジニアとしての腕もあって、ライヴ、スタジオ、レコーディングでのリメオナの音作りは全て長太郎。ギターの音色の相談にものってくれる。俺より詳しい。

リメオナ…細分化され良くできたビジネスモデルではないか! あ、また自画自賛。
さて、先ほどのルールの話と「ナガイ先輩」の話。
後ろ(過去)を振り返ってはならない、というルール。


「ナガイ先輩」はそのルールに反していて、過去(俺たちの高校時代のエピソード話)を振り返り歌っている。
後ろ(過去)を振り返らない、という言葉の反対側には、常に前(未来)を向いていなければならない、という意味を多分に含んでいるから、過去を振り返ったフォローとしては、どうしても未来志向でなくてはならなかった。昔を懐かしんで終わってしまってはクリエーターとは呼ばれない。内輪受けのバンドで終わってしまう。さて、どうしたか。
当初の「ナガイ先輩」制作コンセプトでは、アラジンの注文然り、「あの頃」のエピソードを笑い飛ばすことに主眼が置かれていた。曲中の主人公「俺」に前を向いてもらう必要があったが、8割方完成時にはそれが用意されていなかった。それが理由でしっくりこない半端な曲であったことも記憶に新しい。
ストーリーは最後の最後で「俺」が時を経て大人になり、「奴」(ナガイ先輩)の当時の言動や行動に、どんな意味があったのかを知ることとなる。突っ走るのもいいが、一度は立ち止まり、その人が持つ人となり、内面や人間味を知る必要がある旨の内容を簡潔に歌詞中で述べ、しかしながら他人のことなどお構いなし、直線的に突っ走る性格の「俺」は、知ってしまった「奴」(ナガイ先輩)のやさしさに「本当はそんなやさしさ知りたくはなかった」と唾を吐く、という半分照れ隠しの後、「男ならスカッと決めろ!」…幾度となく「奴」(ナガイ先輩)へ飛ばした檄の言葉は、実は自分自身に向けての激励であったのではないかと「俺」は気づくところで曲を締めくくることに急遽変更された。
どうだ?これで主人公「俺」は前を向いただろう?
この曲は、前を向いただろう!「俺」は未来へ歩き出しただろう!
こうして完成した「ナガイ先輩」は、全てのリメオナであるための項目をクリアし、誕生した。今ではバンドの中核をなす存在といっても過言ではないだろう。

「楽しい貧民街」
…言わずと知れた「貧民三部作」の中核曲であり第一曲。この曲から貧民三部作への制作の足がかりとなった。


最近、我らが故郷、八王子をリスペクトする八王子出身のバンド?バンドじゃねぇな、グループか。ファンキー(以下省略)が八王子を褒め称えているね。八王子観光大使だってさ、すごいね。八王子で生まれ育ったことを誇りに思っているんだって、偉い!
僕らの世代は違った。その逆で、八王子で生まれ育ち、居住していることを長年恥じ、ひた隠しにしていた。そういう市民、とってもとってもと~っても多いと思う。

八王子は田舎!(決して「自然が多い」などの褒め言葉ではなく)
八王子はヤンキー!
八王子はヤクザ!
八王子は民度が低い!(決定的かつストレートに言われることがある)
どこへ行ってもそう揶揄されたね、それは今でも続いている、悔しいなぁ。
それもこれも全てはあの八王子北西部の人たちが強烈に醸し出すイメージ…
八王子市は中央線&甲州街道をおおむねの境として「南部」と「北部(とりわけ北西部)」に分けることが出来、この南北境界線が、民度、所得、偏差値、生活の諸々をバッサリと分断し、格差を生んでいる。(データ=俺調べ)ちなみに俺は南部出身、現在北西部在住。南北格差を目の当たりに体感してきた。アラジンは北部出身、家族全員で南へ亡命、現在渋谷在住、ケッ!アラジンは音楽を志したため、グレなかった。アラジンの同級生たちの多くは暴走、破壊、弱い者いじめという表現手段しか知らないまま大人になった。今も変わらず、さながら亀田のオヤジよろしく、腕力が全てといった具合だ。またその子供たちがその意思を忠実に引き継いでいる。ファンモンちゃんは南部出身。南でヌクヌク、北の荒れようは知らないまま育ったんだろう、うんうん、知らないほうがいい、PRに差し障るから。
朝鮮半島か? 俺の八王子…
バンドプロデューサーアラジンには常々「ご当地ソング」を作りなさい、と言われ続けていた。また同時に「八王子出身」であることをカミングアウトしなさい、と言われ続けていた。困った。俺、八王子出身&居住だけはひた隠しにしたい…。俺は八王子、好きだし誇りに思うよ!しかし、あいつら(ファンモンちゃん)のように明るくPRすることは出来ないな…理由として、俺は八王子市民(とりわけ北西部の土着民)の民度の低さに心から嫌な思いをさせられて来たし、今もそれは継続しているからだ。(でも今の住まいと街は好きだよ)


八王子北西部には2つの大型貧民団地が存在し、昔ほどの隆盛は見られないが、今もなお、そこを拠点とし、八王子の民度の低さと税金未納率、および犯罪発生件数をキープし続け(データ=俺調べ)数多くのヤンキー&ヤクザを輩出し続けている。俺らの学生時代は酷かった。「腕っぷしの強さ=ルール」の地域だった。今もそうか…。醜さの内容は曲中の歌詞さながらだ。
嫌だなぁ、嫌な境遇だなぁ、しかし俺なりにPRするか、仕方ない。逆説的に醜いところを捉えて笑い飛ばしてしまえば、それはそれでブルースか。恵まれない境遇を明るく歌い、傷を舐め合うのがブルーススピリット。もともとは黒人奴隷のものであったが、日本では「炭坑節」などが良い例だね。恵まれない境遇をぶち壊すのがロックやパンクのスピリット。いちかばちかやってみるか!俺は明るいブルースで。
前述の通り、俺のふるさとPRは、思いっきりネガティブキャンペーンよ。歌詞が歌詞だけに客席が凍りつく「社会派ソング」とならぬよう配慮しなければ、この曲は洒落にならない。メロディ&コード進行、テンポ&リズムに関して、思いっきり明るいものを採用した。
しかしながら、完成当初、曲を披露するたびに客席は凍りついた。オーディエンスは完全に「社会派ソング」と捉えたのだ。「いや、違うんだよ、みんな。これは笑う曲!」俺の心の叫びもむなしく、数か月、客席が凍ったままだった。
ある日のバンドミーティングにて「歌う前にきちんと曲の説明をしなさい」プロデューサーアラジンからの忠告を遵守し、歌う前にこの曲を作った経緯、そして何より愛する故郷であることを丁寧に説明してから歌う運びを試してみたところ、今までの凍りついた客席はどこへやら、この曲はライヴ中の中核ソングへと変貌していったのであった。やれやれ…。
初めてこの曲を聴く人は必ず「東京のどちらのご出身ですか?」と聞くよ。触れて欲しくない質問だ。出来ればひた隠しにしたいのに。


俺が「……八…王…子…です…(超小声若干震えぎみ)」と決死のカミングアウトを敢行するや否や、
「あぁ、八王子!(若干蔑んだトーンに聞こえるのは俺の被害妄想か?いや、そんなことはない、確実にこいつ、八王子を蔑んでやがる)八王子ねぇ!わかるわかる!うんうん、わかる!」おまけに「あ、あそこは悪いや」と付け足した人数知れず。
「君、蒲田でしょ?僕も蒲田」とか「僕も足立区なんですよ、足立のどこです?」「いやぁ、下赤塚歌われちゃったな(下赤塚ってどこやねん)」とか共感を得てしまう地域の方々も多々おられます、ありがとー!
兎にも角にも、これは愛情をたっぷり注ぎこんだ俺の裏八王子ネガティブPRソングなのだ。聴いてくれ!そして八王子へいらっしゃい!
最後に現在渋谷在住のアラジン、これから先、君はどこで生き、どこで死ぬか、俺の知るところではないが、俺の希望としては、おじいちゃんになってからでいい、最後はこの憎き憎き、にっくき八王子に居を構え、互いに終を迎えようじゃないか!待っている!

「どん底喫茶」
…ベランダから川を望むことが出来る。その川向う(かわむこう=放送禁止用語だそうだ、放送禁止用語なんて今や存在しない死語だが、なぜ「川向う」が放送禁止用語なのかはここでは割愛します。自分で勉強してください。しかし放送禁止用語っていったい何なんだ?)向こう岸、対岸(と言わなければならないらしい、ケッ)にはわが愛しの貧民街が広がっている。
「貧民街」とは俺が勝手に名付けて呼んでいるだけだ。
俺は貧民街が好きだ。


「楽しい貧民街」では思いっきりネガティブPRを敢行し笑い飛ばしてしまったが、反面、貧民街は素晴らしい。何が素晴らしいかって?まずは風景。昭和40年代~の古き良き日本の風景がそのまま残されているのだ。商店街はおもちゃ屋(昭和に売れ残ったお宝ワンサカ)、かまぼこ屋(おでん絶品¥30)、肉屋(肉屋なのにコロッケに肉が入っていない¥30絶品!)キムチ屋(オモニのキムチ¥200で食べきれないほど、絶品!)ラーメン屋(¥250)道行くおばさんまでもが日本髪、前掛け、つっかけ。渋谷じゃいねぇだろ?アラジン!そして物価が安い等々。
ここ貧民街にも俺の友人が数人住んでいた。貧民街の俺の友人のほとんどは、非行の波に奇跡的に呑まれず(これは奇跡だ!)人格と教養を身につけ(これは奇跡だ!)現在社会で立派に活躍中だ(これは奇跡なのだ!!)この荒れ果てた団地の、自分の勉強部屋を持つことが出来ないのは当たり前、電気は止められ、大人たちは現実逃避し、仕事もせず飲んだくれ、ギャンブルと借金にまみれ、学校へ行けば荒廃どころか窓ガラス1枚もなくまともな授業すら受けられないこの環境で、よくぞめげず、腐らず、グレずに勉学とスポーツに勤しみ、立派な社会人になったことであろう!君たちは素晴らしい!ネガティブPRばかりでは怒られてしまうな!貧民街は、とにかく素晴らしい一面も持ち合わせているのだ。それを紹介しなくては…。雑草魂(いや、ゴミの掃き溜め魂)から強靭な肉体、精神、教養、人格が育つ場所…これは奇跡なのだ!!!
貧民街には「喫茶店」が数件ある。貧民街の喫茶店は街の喫茶店とは違い、お茶コーヒーなんか出て来ないよ。朝からおススメドリンクはウーロンハイだ。朝からおススメフードは焼き鳥だ。夏なんかお客さんは皆上半身裸。「つげ忠男」の世界さながらだ。
俺はそんな貧民街の喫茶店が好きで常日頃から新曲へのシナリオハンティングを密かに進めていた。とある日、いつものようにその貧民喫茶をのぞき、俺は「ハッ」と驚きの息を呑みこんで動けなくなってしまった。ダメな大人たちのいつもの酒とカラオケの乱痴気騒ぎの中、客席の隅で猫を抱きながら勉強に勤しむ中学生と思われるカップルを見つけてしまったのだ。彼は恐らくその喫茶店の家の子(勝手な想像かもしれない)なのだろう、この敷居の高い、悪しき常連の掃き溜めのような喫茶店の隅で、今、まさに、静かに、そして強く、勉強しているのであった。現在自分の置かれている住宅事情、家庭環境を反面のバネとして、この悪しき環境から羽ばたかんと必死に努力している…自分の彼女にも包み隠さずに、なりふり構わずに…なんて、なんてロックンロールなんだ!俺は自堕落な自分を責めたね、何て恥ずかしい大人になってしまったんだろう?って。あいつだ、あいつだ、あいつが主人公だ!ギンギンのロックに乗せて歌おう!不遇な身の上や、家庭環境、不当な差別なんて関係ないぜ!って、あいつの背中は言っている!かっこいいぜ!お前!お前、あしたのジョーじゃねぇか!
かくしてこの歌は超シンプルなロックナンバー、超シンプルな歌詞をコンセプトに、前しか向いていない、逆境に屈しないどころか逆境に唾を吐き、笑い飛ばす強い意志を表現しました。いやぁ、良いものを見ました。俺らもそうありたい。
「どん底喫茶」と題しました。

「西7号棟」
これはフィクションだ。登場人物は架空の人物である。わかって欲しい。


…最初にシナリオを持ち込んだのは長太郎だった。
「○○さんを見た」その言葉で、俺とアラジンは言葉を失った。
○○さんとは、俺たちの高校時代のマドンナだった女性だ。俺たちもうすぐ40歳。20年以上前のマドンナだ。今さら何だって言うんだ!ただのおばさんではないか!しかし俺とアラジンは執拗に「制服の名札(販売員であった)は見たか?」「名字は?」「かわいかったか?」などと尋問してしまった。
当時○○さんは特別可愛くもなく、美人でもなかった。しかし俺たちは何故か惹かれた。その魅力は「西7号棟」の歌詞にある通りだ。
高校時代、俺たちはいったい何度○○さんをライヴに誘ったであろうか?恐らくたった1度たりとも、○○さんは俺たちのライヴを見に来たことは無かったのではないか?「必ず行くよ」と言っていたくせに。
それから俺の創作回路は音を立て回転し始めたよ。そのスピードとエネルギーたるや、自分でも恥ずかしくなるくらいであった。あっという間に1曲書き上げてしまった。
○○さんは長太郎の中学時代の同級生。彼を通じてあれやこれや彼女の境遇について調べ上げ、おまけにアラジンは高校2年の時同じクラス。アラジンからも当時のエピソードをハントした。


バレンタインチョコレートをもらった!と自慢していたよ、ケッ!そんなこと聞いてないし、それ、ただの義理チョコですから!…。あ、不覚にも取り乱してしまいました。
また、俺に関しては高校3年で同じクラス。思い出すのは「でかい尻」であったこと…
あまり恵まれていなかった彼女の家庭環境と、悲しげな瞳が(スマン、これはただの俺たちの妄想かも知れん)印象的で、思いっきり過去を振り返って感傷に浸ってしまった、いかんいかん。ルール、ルール、ルールね、不文律ね、わかってるよ、うっさいなぁ…。
貧民街のセピア色の風景を描写し、そこに彼女の儚げな美しさを重ね、そして辛くても暖かであったろう彼女の家族の絆、普遍的な家族の絆ををつなぎ合わせた。しかし、曲および主人公「俺」は前を向いているであろうか?サビも思いっきり濁した詞としてしまった、ポリポリ。
おまけに曲に関しては、10数年前に没になった曲をそのまま再利用した始末だ、ポリポリ。しかし、儚く悲しげな感じがハマった!エンディングのコーラスの歌詞に至っては、「適当に、ピーちゃん鳴いてる」とかで良いんじゃないの?と遂に匙を投げてしまった。2番の歌詞に至ってはついぞや思い浮かばずに、レコーディング当日にホワイトボードを目の前に考えた代物であった。


常日頃から言っているが、歌詞なんてどうでも良いのだ。「西7号棟」というタイトルがついた時点で、もう既に勝負はついていたのだ。タイトルだけで、イントロだけでノックダウンさせる自信があったし、プロデューサーアラジンもタイトル1つで全てを認め、絶賛してくれた。長太郎もこよなく愛すナンバーのひとつとなった。このいい加減な手法は「流星」でも採用した経緯がある。とにかく伝われば良いのだ。
近年の数曲のエピソードを長々と語ってしまったが、関西のライヴツアーに話を戻そう。
京都のライヴハウスは対バンを除き(長太郎、ここもカット可)実にスタイリッシュで、東京にもそうそうないのではないか?と思ってしまったくらい素晴らしいライヴハウスでした。ライヴハウスのオーナー夫妻も大変気に入ってくれて、またの機会の約束を交わし、俺たちは小屋を後にした。これからの出来事は、アラジンのブログと重複してしまうが、アラジンの綴った思いと、俺の感じた思いと、どうか読み比べて欲しい。


そう、これは「大人の修学旅行」だったのだ。高校の修学旅行でも俺達3人は一緒だったね、場所も京都。あれから約20年。今回は大人になった?俺たちが音楽を奏でながら、酒を飲みながらの3人旅。楽器をホテルに戻しタクシーで向かったのは祇園。舞妓さんが帰路を急ぐ遅い時間帯ではあったが、昨日の大阪に続き、祇園の街を闊歩したね、このネオン瞬く夜のことは一生忘れないよ。飲んで食って、語った。珍しく、音楽の話、バンドの話にも大いに花が咲いた。
これから俺たちはどう転がって行くのであろうか?「あと何年」という恒例の質問も、アラジンが感じ取った「まだまだ行けるぜ、俺たち」という意味合いの他に、真の意味での「あと何年」出来るのであろうか?という自問が垣間見えてしまったのではないか?と今になって恥ずかしく思います。あと何年?このままずっと、3人で突っ走って行けるのかなぁ…こんなに楽しい毎日が、ずっと続けばいいのになぁ…心の底からそう思ったよ。楽器片手に3人でいつまでもあの街この町…そんな空想を思い描きながら京都の、最後の夜は更けていった。
3人で2泊…特に俺のようなわがままな奴がいては、絶対ケンカにもなるだろうな…そう思っていたが、3日間終始楽しいものであったよ、ありがとう。本当にありがとう、アラジン、長太郎。アラジンの言うように、20歳の頃は、毎週末、何時間も飲んで語り、何時間も車を走らせ語った。あの頃が蘇ったみたいだったよ。


最後の別れも、何となく辛かった。京王八王子駅でアラジンは車を降りた。雑踏の中を振り向きもせず人ごみの中へ消えてゆくアラジンの後ろ姿を、俺は一生懸命、長太郎の車の助手席から追いかけたよ。アラジンの背中を見つけたのと同時に、俺と長太郎が乗った車はアラジンの人ごみを追い越す形となった。アラジンはそれに気づき、俺たちに向って手を挙げた。俺もそれに応える形で、手を振った。
2010・10・12もうすぐ40歳 伊集院

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